後深草院二条の『とはずがたり』のヤバイ内容!愛と嫉妬と放浪を綴った女房の赤裸々な日記

平安から鎌倉にかけて、日本の宮廷社会では多くの女性が自らの体験を日記文学として記録しました。清少納言の『枕草子』や藤原道綱母の『蜻蛉日記』など、貴族女性が残した作品は後世に大きな影響を与えています。

その中でも、後深草院二条が著した『とはずがたり』は特別に異彩を放つ存在です。自らの恋愛、宮廷での出来事、旅の記録などを赤裸々に綴っており、時に生々しすぎて読者を驚かせます。

今回は、『とはずがたり』のヤバいところを具体的に掘り下げていきます。文学的評価や現代とのつながりではなく、作品そのものに描かれた出来事や心情を追ってみましょう。

『とはずがたり』とは何か

『とはずがたり』は、鎌倉時代の女房であった後深草院二条が晩年にまとめたとされる自叙伝的作品です。彼女は後深草院に仕え、その後も波乱に満ちた人生を送ったことで知られています。

作品は全二十巻に及びますが、現在伝わるのはそのうちの十三巻ほどです。そこには宮廷での恋愛体験、天皇や僧侶との関わり、各地を巡る旅の様子が率直に描かれています。

日記文学という枠組みでありながら、記録の正確さよりもむしろ感情の吐露が中心となっている点に特徴があります。二条がどれほど強い情熱と苦悩を抱えていたかが、ページをめくるごとに伝わってきます。

宮廷恋愛の赤裸々な暴露

禁断の恋愛模様

『とはずがたり』の大きな魅力の一つは、当時の宮廷社会における恋愛事情を包み隠さず書き記している点です。後深草院との秘められた関係や、宮廷内での複雑な人間関係が具体的に描かれています。

表向きは荘厳で格式高い宮廷ですが、その裏では激しい愛憎が渦巻いていました。二条はその渦中に身を置き、苦悩しながらも自分の想いを記録として残しています。

男女関係の裏事情

『とはずがたり』を読むと、当時の男女関係がいかに奔放で、また同時に熾烈であったかが見えてきます。複数の貴族との関係や、女房たちの間で繰り広げられる駆け引きが赤裸々に語られます。

恋愛は単なる個人の感情ではなく、宮廷における地位や権力とも密接に関わっていました。二条の告白からは、表の歴史書には残らない宮廷の裏側が浮かび上がってきます。

欲望と嫉妬に揺れる心情描写

愛されたい気持ちと孤独

『とはずがたり』の大きな特徴は、二条自身の心情が痛切なまでに吐露されている点です。彼女は愛されたいという強い欲望を抱きながら、同時に深い孤独に苛まれていました。

後深草院からの愛情を信じたい気持ちと、その愛が揺らいでしまう不安の間で、二条は常に葛藤します。その心の揺れ動きが細やかな言葉で記されているため、読者はまるで彼女の胸の内を覗き込むような体験をします。

恨みと呪詛の表現

さらに『とはずがたり』には、恨みや嫉妬といった負の感情も鮮烈に記されています。愛を得られなかったときの失望や、ライバルに対する強い憎悪が隠さず語られています。

特に注目すべきは、時に呪詛のような言葉すら登場することです。二条の感情は清らかな恋愛感情だけではなく、怨念めいたものにまで発展しており、その激しさが作品の「やばさ」を際立たせています。

宮廷世界の裏側を暴くエピソード

禁忌に触れる体験

二条は宮廷の中で許されない関係に足を踏み入れることもありました。その中には修行僧との関わりが含まれ、当時の価値観から見てもきわどい体験が記録されています。

異性との密会や秘密の逢瀬が、隠すことなく詳細に描かれています。宮廷社会の建前とは裏腹に、人間らしい欲望に従う姿が赤裸々に語られているのです。

宗教と性愛の交錯

また『とはずがたり』では、宗教的な要素と性愛が複雑に交錯しています。二条は祈祷や占いに頼り、自分の恋愛がうまくいくよう神仏に願をかけます。

しかし同時に、恋愛や欲望の渦中に身を置き続ける姿も描かれています。宗教と性愛が同居する心性は、当時の人々が抱えていた矛盾や切実さを示しているといえるでしょう。

旅と放浪の中で露わになる生々しさ

流浪の描写

『とはずがたり』には、宮廷を離れて各地を放浪する様子も詳細に描かれています。二条は京の都を出て旅を重ね、その道中で出会った人々との交流を記録しています。

宮廷の日常から一転して、厳しい自然や地方の現実に触れることで、彼女の心境も大きく揺れ動きます。そこでは高貴な女房という立場から解き放たれた姿が垣間見えます。

地方での逸話

旅の中では、地方の人々との交流や恋愛にまつわる逸話も記録されています。京の洗練された宮廷文化とは異なる価値観に触れることで、二条は新たな体験を重ねていきます。

華やかな宮廷と地方の生活との差異が、二条の感情に強い衝撃を与えました。そのコントラストが作品にさらなる奥行きを与えています。

総じて見えるヤバさ

『とはずがたり』は単なる自叙伝ではありません。愛欲、嫉妬、恨み、旅の苦しみや楽しみなど、人間の感情があまりに率直に綴られています。

宮廷という特権的な空間の裏事情や、禁忌を犯すような体験まで記録されている点は、同時代の他の文学作品と比べても異例といえます。

赤裸々な記録が積み重なることで、二条という人物の激しい生き方と、その「やばさ」が鮮明に浮かび上がってきます。読む者は、宮廷社会の華やかさの裏に潜む生々しい現実を感じ取ることができるでしょう。

謎に包まれた成立背景

『とはずがたり』の存在そのものが不思議な成り立ちを持っています。宮廷の女性による記録は他にも残っていますが、ここまで露骨な恋愛体験や旅の記録をまとめたものは少なく、当時の常識からすると異例の試みでした。

また、後深草院二条がどのような経緯で筆を執ったのかも大きな謎です。晩年に入って心境を整理するために書かれたとも、あるいは誰か特定の人物に読ませる意図があったとも考えられています。

さらに興味深いのは、現存する写本が断片的であり、原本の全貌が明らかでない点です。後世に伝わる過程で欠落や改変が生じた可能性があり、今私たちが読む『とはずがたり』は、必ずしも二条自身が書いたそのままではないかもしれません。

こうした点を踏まえると、『とはずがたり』は単なる告白文学として読む以上に、失われた部分や書かれなかった意図を想像する楽しみをも与えてくれる作品だといえるでしょう。