『平家物語』には、数多くの武将や僧侶、貴族たちの盛衰が描かれています。
その中でひときわ異彩を放つのが、女武者として登場する巴御前です。木曾義仲に仕え、勇猛果敢な戦いぶりで知られる彼女は、物語の中で特別な位置を占めています。
その巴御前の武勇を象徴する場面として、しばしば取り上げられるのが「首捻ぢ切つて捨ててんげり」という表現です。
この一文は非常に生々しく、かつ強烈な印象を残します。では、この言葉は具体的にどのような意味を持ち、どのような意図で用いられたのでしょうか。
その背景や文言の解釈を丁寧に追いかけていきます。
巴御前と『平家物語』
巴御前とは何者か
巴御前は、源平合戦において木曾義仲(源義仲)の側近として戦場に立った女性です。
容姿端麗であったと同時に、弓馬に優れた武勇の持ち主であったと伝えられています。女武者という存在自体が極めて珍しいため、軍記物語の中でも強い印象を残しました。
義仲の乳母の子ともされる彼女は、単なる従者ではなく、義仲にとって最も信頼のおける戦力の一人であったと考えられます。
特に最後の戦いに至るまで、彼女の勇猛さは繰り返し語られており、その存在感は突出しています。
『平家物語』における巴御前の登場場面
巴御前が最も鮮烈に描かれるのは、『平家物語』第九巻「木曾最期」の章です。ここでは、木曾義仲が追い詰められ、滅びゆく様子が克明に記録されています。
その戦いの中で、巴御前は最後まで義仲に従い、敵に立ち向かいました。
この場面は、ただの戦いの記録ではなく、義仲という一人の武将の終焉を際立たせる演出として機能しています。
その中に登場する「首捻ぢ切つて捨ててんげり」という表現は、巴御前がいかに勇猛であったかを示す一節であり、物語全体において特異な輝きを放っているのです。
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問題の表現「首捻ぢ切つて捨ててんげり」
原文の位置づけ
「首捻ぢ切つて捨ててんげり」という表現は、『平家物語』第九巻「木曾最期」に登場します。義仲が討たれる直前、巴御前が敵を討ち取った場面で用いられています。
敵を圧倒し、その首を取る場面の中で、この強烈な一文が差し挟まれているのです。
軍記物語において、敵の首を取る描写は戦果を示す重要な場面です。
巴御前の場合も同じく、その勇猛さを際立たせるために「首を刎ねた」ではなく、より力強く生々しい表現が選ばれています。
文言の直訳と古語の意味
ここで文言を一つずつ見ていきましょう。
- 「首」:討ち取った敵の首級のことを指します。当時、首を持ち帰ることは戦果を証明するために不可欠でした。
- 「捻ぢ切つて」:ねじり切る、力ずくで引きちぎるという意味があります。単に斬るのではなく、腕力を強調する表現です。
- 「捨ててんげり」:「捨つ」に完了の助動詞「たり」、そして過去を表す「けり」が重なって変化した語形です。つまり「捨ててしまった」という意味になります。
直訳すると「首をねじり切って捨ててしまった」となります。この表現だけでも、当時の戦場の苛烈さと巴御前の豪胆さが目に浮かぶようです。
動作描写の解釈
戦場における実際的意味
現実の戦場において、首を「ねじ切る」ことが可能であったかどうかは議論の余地があります。実際には刀で斬り落とすことが一般的でした。
しかし、「捻ぢ切つて」という言葉には、敵を圧倒する力強さを示す誇張の要素が込められていると考えられます。
この表現は、巴御前の力が常人離れしていることを伝えるための修辞であり、現実的な写実以上に、物語的効果を優先した描写だと見ることができます。
巴御前の武勇を強調する修辞
巴御前は女性でありながら、男性武者と肩を並べる存在として描かれています。
そのため、ただ敵を倒すだけではなく、より強烈で記憶に残る描写が必要でした。「首捻ぢ切つて捨ててんげり」という表現は、その目的を十分に果たしています。
この描写は単なる残虐性を示すのではなく、敵を容易に処理する圧倒的な力を表すものです。巴御前がただ美しいだけでなく、真の武者であったことを強調する役割を担っています。
文学的・表現上の特徴
誇張と写実の境界
『平家物語』における戦闘描写は、現実の戦場の様子を伝える一方で、物語としての迫力を増すために誇張が加えられることがしばしばあります。
「首捻ぢ切つて捨ててんげり」という表現もその典型です。実際には刀で首を斬るのが一般的であったはずですが、ここでは腕力でねじり切るという強烈な表現が選ばれています。
この誇張によって、巴御前の非凡さが一層引き立ちます。現実的な可能性を超えてでも、その勇猛さを際立たせたいという物語的意図が読み取れるのです。
「捨ててんげり」に込められた余情
注目すべきは、首を取ったあとに「捨ててしまった」と記されている点です。首を持ち帰ることが戦果を示す重要な証拠であったにもかかわらず、巴御前はあえてそれを捨てると描かれています。
この表現は、彼女が戦果に執着するのではなく、豪胆に敵を圧倒したことを示しています。斬った首を誇示するよりも、無造作に投げ捨てる姿勢の方が、彼女の力強さと自信を際立たせるのです。
まるで取るに足らないものを放り投げるかのように描かれることで、巴御前の存在感はさらに強調されます。
首を「捨てる」ことの意味をめぐって
巴御前の「首捻ぢ切つて捨ててんげり」という表現は『平家物語』に見られるものですが、同じエピソードは異本や他の軍記にも記録されています。
たとえば『源平盛衰記』では、巴御前の武勇についてさらに細かく描かれ、敵を力でねじ伏せる場面が多く語られています。このように、巴御前の姿は複数の軍記に登場し、その都度、豪胆さを際立たせるための修辞が用いられています。
また、当時の戦場では、首を刎ねるだけでなく、敵を組み伏せて力ずくで仕留めることもありました。軍記物語はこれを誇張する形で記し、巴御前の場合は特に「女性でありながら」という要素が重なり、より鮮烈な表現が選ばれたと考えられます。
さらに、「捨てる」という動作そのものにも注目できます。敵の首を持ち帰るのは功名の証である一方、巴御前がそれを放棄する描写は、軍功よりも義仲への忠義や自身の武勇を示すことに重きを置いた人物像を暗示していると見ることも可能です。
これは他の男性武者の記録とは異なる特色であり、物語上の造形の工夫がうかがえる点です。