日本の歴史を振り返るとき、幕末から明治維新にかけての激動期ほど劇的な変化を遂げた時代はありません。その中でも「大政奉還」は、徳川幕府が自ら政権を朝廷に返上するという前例のない決断として、歴史に刻まれています。
そして、この大政奉還の背後には「坂本龍馬」の名前が常に語られます。薩長同盟を仲介し、武力衝突を避けながら新しい政治の仕組みを模索した龍馬の存在は、多くの人々に「維新の立役者」として記憶されています。
しかし、ここで浮かぶのが一つの疑問です。
「坂本龍馬がいなくても、大政奉還は実現したのではないか?」
歴史の「もしも」を考えることは無意味に思えるかもしれませんが、人物と時代の関係を理解する上で非常に興味深いテーマです。
本稿では、大政奉還の歴史的背景を整理し、坂本龍馬の役割を具体的に見たうえで、彼がいなかった場合の可能性について考察します。さらに、歴史学的な議論を踏まえて、龍馬の存在がどれほど不可欠だったのかを検討していきます。
大政奉還の歴史的背景
幕末の政治情勢
19世紀半ば、日本は開国を余儀なくされ、幕府の権威は急速に揺らぎました。国内では、尊王攘夷を掲げる勢力が各地で活動を強め、特に薩摩藩と長州藩が倒幕の中心勢力として台頭しました。
一方で、幕府は軍事力や外交力の面で劣勢に立たされ、各藩の支持を失いつつありました。このままでは幕府は存続できず、国内の分裂と内戦の激化が避けられない状況に追い込まれていたのです。
こうした緊張の中で、倒幕を目指す勢力と幕府の対立は日に日に深刻化していきました。
大政奉還の意義
大政奉還とは、徳川慶喜が政権を朝廷に返上することで、武力衝突を避けつつ新しい政治体制へ移行しようとした出来事です。
この決断は、幕府にとっては「自ら政権を手放す」という一大転換でしたが、同時に「王政復古」への流れを決定づけるものでもありました。もし大政奉還がなければ、幕末の日本は薩長軍と幕府軍との全面戦争に突入し、多くの犠牲を伴ったかもしれません。
したがって、大政奉還は「平和的な権力移譲を実現した画期的な政治改革」として評価されています。
坂本龍馬の役割
薩長同盟の仲介者として
幕末の政治情勢を大きく変えた出来事のひとつが「薩長同盟」です。薩摩藩と長州藩は当時、共に幕府打倒を志向していましたが、長年の対立と不信感から直接的な協力は困難でした。特に 禁門の変(1864年) の後、幕府軍に味方した薩摩が長州を攻撃した経緯もあり、両藩の関係は敵対的で「和解は不可能」とまで見られていました。
そんな状況の中、坂本龍馬は中立的な土佐藩出身という立場を活かし、薩摩と長州の間に立って交渉を進めました。龍馬自身は土佐藩に強い政治的基盤を持っていたわけではありませんが、むしろその「藩に縛られない自由な立場」が両藩から信頼を得る要因となりました。
龍馬はまず薩摩藩の西郷隆盛や小松帯刀と信頼関係を築き、その後、長州藩の木戸孝允(桂小五郎)らと交渉を重ねました。直接会談が難しい時には、龍馬が文書を持って往復し、互いの条件や本音を伝える「パイプ役」として機能しました。特に「倒幕後の政権構想」をめぐる不安を和らげるために、双方に譲歩を促しながら交渉をまとめあげたのです。
結果として、1866年に薩長同盟が成立しました。これは 「幕府に対抗するために最強の勢力が結びついた瞬間」 であり、後の倒幕運動の決定的な原動力となりました。もし龍馬の仲介がなければ、薩長が再び敵対する可能性も高く、幕府は延命したか、あるいは倒幕が武力衝突の連鎖によって長期化していたと考えられます。
大政奉還構想の提唱者として
坂本龍馬のもう一つの大きな功績は、政治体制を平和的に移行させる具体的な構想を提示したことです。
龍馬は1867年、土佐藩の船上で「船中八策」と呼ばれる政治改革案をまとめました。その内容は、政権を朝廷に返上する(大政奉還)、議会を設置する、憲法を制定するなど、近代国家に向けた具体的な方策を含んでいました。
当時、倒幕を目指す勢力の多くは「まず武力で幕府を打倒する」ことに重きを置いており、その後の政権構想は曖昧でした。それに対して龍馬は、単なる権力闘争ではなく「平和的かつ制度的な政治改革」を見据えていた点で画期的でした。
この構想は土佐藩を通じて幕府に伝えられ、最終的には徳川慶喜が「自ら政権を朝廷に返上する」という決断を下すきっかけの一つとなりました。慶喜にとっても、大政奉還は「倒幕勢力との全面戦争を避けつつ、徳川家の威信を保つ」ための妥協策となり得たのです。
つまり、龍馬の提案は、幕府・倒幕派双方にとって「落としどころ」として機能しました。もしこのようなビジョンがなければ、慶喜は武力対決に踏み切るか、あるいは改革を先送りして時期を失った可能性があります。
大政奉還を単なる「幕府の敗北」ではなく「新時代への平和的移行」と位置づけた龍馬の発想は、後世に至るまで「彼の最大の功績」として高く評価されています。
坂本龍馬がいなかった場合の可能性
実現が遅れるシナリオ
もし坂本龍馬が存在しなかった場合、大政奉還の実現は大きく遅れていた可能性があります。
特に薩長同盟の成立はその象徴です。薩摩と長州は長年の対立関係にあり、直接的な接触では感情的なしこりを解消できませんでした。龍馬が中立的立場から両者を繋げたからこそ、薩長は幕府に対抗できる強力な同盟を結ぶことができたのです。
もし龍馬がいなければ、薩長同盟は成立せず、両藩が個別に幕府と衝突し、戦局は泥沼化した可能性があります。その場合、倒幕運動は内戦の激化を伴い、大政奉還のような平和的解決は遠のいていたと考えられます。
別の人物による代替シナリオ
もっとも、坂本龍馬が不在でも歴史の流れそのものは「幕府崩壊」の方向に向かっていました。幕府は国内外での影響力を失い、薩長を中心とする倒幕勢力が勢いを増していたため、いずれは体制転換が訪れたと考えられます。
その場合、龍馬に代わる人物が「調停者」や「戦略提案者」として役割を担った可能性もあります。
- 西郷隆盛:薩摩藩の指導者として強力な政治力と軍事力を持ち、薩摩を主導していた。彼が自ら長州と手を結ぶ決断をした可能性もある。
- 木戸孝允(桂小五郎):長州藩のリーダー格で、冷静な判断力と政治的感覚を備えていた。西郷との直接交渉に挑むことも十分に考えられる。
- 山内容堂(土佐藩主):政治改革に理解を示し、大政奉還の建白を慶喜に働きかけた人物。龍馬が果たした「幕府と倒幕派をつなぐ中立的な役割」を担う可能性があった。
しかし、これらの人物はいずれも強い立場を持つ「藩の代表」であり、藩益を優先する傾向が強かったため、龍馬のように「中立で柔軟」な立場から双方を説得することは難しかったでしょう。その結果、交渉は激しく対立し、同盟形成は遅れたり、より不安定な形になったと考えられます。
結果としての違い
龍馬がいなかった場合でも、大政奉還という出来事が完全に消滅することはなかったと考えられます。ただし、その実現の形とプロセスは大きく異なったでしょう。
- 武力衝突が先行するシナリオ
薩長が別々に幕府と戦い、激しい内戦の末に幕府が敗北。その後に王政復古が宣言される。この場合、多くの犠牲を伴い、社会不安も長引いた可能性がある。 - 改革が遅延するシナリオ
徳川慶喜が政権をしばらく維持し、幕府主導で漸進的に改革を進める。結果として大政奉還や明治維新は遅れ、列強への対応でも後手に回った可能性がある。
いずれのシナリオでも、龍馬が果たした「平和的な橋渡し役」という要素は欠けてしまいます。そのため、明治維新はより多くの犠牲を伴い、国内の混乱が長期化した可能性が高いといえるでしょう。
歴史学的評価
龍馬の「不可欠性」を巡る議論
坂本龍馬の評価については、歴史学者や研究者の間でも大きく意見が分かれています。
一方では「龍馬がいなければ大政奉還は実現しなかった」という見方があります。この立場に立つ人々は、薩長同盟の仲介や「船中八策」の発想を龍馬の独自性として高く評価し、龍馬の柔軟な交渉力とビジョンこそが明治維新を平和的に導いたと考えます。
もう一方では「大政奉還は時代の必然であり、龍馬がいなくても進んだ」という意見があります。幕府の権威低下や列強の圧力、各藩の利害関係の変化といった大きな時代の流れが既に存在しており、龍馬はその潮流の中で一つの触媒にすぎなかった、という視点です。つまり、龍馬を「時代が生んだ人物」として捉え、その存在は重要ではあるが絶対条件ではないと位置づけています。
歴史の「もしも」を考える意義
歴史を振り返るとき、「もし〇〇がいなかったら」という仮定は無意味に思えるかもしれません。しかし、この視点は「人物の力」と「時代の構造」のどちらが歴史を動かしたのかを考える上で大きな意味を持ちます。
坂本龍馬の場合、その存在は確かに大政奉還の実現に大きく寄与しましたが、同時に幕府崩壊の必然性という時代の流れも見逃すことはできません。つまり、歴史は「個人の行動」と「時代の大きな潮流」が交錯することで動くものだと理解できます。
龍馬の役割を評価することは、私たちに「歴史の偶然と必然」を同時に考える機会を与えてくれるのです。
結論
坂本龍馬は、大政奉還の実現に向けて極めて大きな役割を果たしました。特に薩長同盟の仲介や「船中八策」の提唱は、幕末の混乱を平和的に収束させる道筋を示した点で高く評価できます。彼がいなければ、大政奉還は大きく遅れるか、あるいは武力衝突を経て初めて実現していた可能性が高いでしょう。
一方で、幕府の衰退や国際情勢の変化という大きな潮流を踏まえると、大政奉還そのものが完全に起こらなかったとは言い切れません。つまり、坂本龍馬は「不可欠な存在」だったというよりも、「歴史をより平和的かつ迅速に進めた触媒」として位置づけるのが妥当だと考えられます。
この議論を通じて見えてくるのは、歴史は人物の意志と時代の構造が複雑に絡み合って動くということです。坂本龍馬という一人の志士の存在は、確かに大政奉還を形作る重要な要素でしたが、それはあくまで必然と偶然が交差した結果でもありました。
したがって「坂本龍馬がいなくても大政奉還は実現したか」という問いに対しては、実現そのものはあり得たが、平和的かつスムーズな形での実現には坂本龍馬の存在が大きく貢献したと結論づけられるでしょう。