室町/戦国時代

細川ガラシャ(明智玉)は美人だったのか?史実と物語の狭間で描かれる真の魅力

細川ガラシャはは戦国武将・明智光秀の娘であり、後に細川忠興の妻となる人物です。さらに、キリシタン大名夫人として波乱の生涯を送ったことから、日本史上でも特異な存在感を放っています。彼女の人生を語るとき、容姿に関する評価がしばしば語られます。「...
室町/戦国時代

正長の土一揆はどこで始まった?誰が指導した?

日本の歴史には、為政者や武士だけでなく、農民や庶民が自らの生活を守るために立ち上がった数々の出来事があります。その代表的なものの一つが「土一揆(どいっき/つちいっき)」です。中でも、1428年に起こった正長の土一揆は、日本史上で最初に記録さ...
室町/戦国時代

なぜ足利義政は銀閣寺を建てたのか?銀箔を貼らなかった理由

京都・東山に佇む銀閣寺(正式名称:慈照寺)は、世界的にも有名な日本の文化財のひとつです。しかし、初めて訪れる人の多くが驚くことがあります。「銀閣」と呼ばれているのに、建物には銀箔が施されていないのです。金閣寺のきらびやかさと比べると、あまり...
室町/戦国時代

海賊(倭寇)を止めた一枚の札、勘合貿易の意外な功績

「勘合貿易」と聞くと、日本史の授業で習った「室町幕府と明のあいだの貿易制度」というイメージを思い出す方が多いのではないでしょうか。教科書には「勘合札を用いて正式な貿易船を区別した」といった説明が簡潔に書かれており、あまり印象に残らなかったか...
室町/戦国時代

足利義満が金閣寺を建てた本当の理由、なぜ黄金色にしたのか?

金閣寺といえば、京都を代表する観光名所であり、世界中の人々が一度は訪れたいと憧れるスポットです。正式名称は「鹿苑寺(ろくおんじ)」といいますが、黄金に輝く舎利殿の姿から「金閣寺」という通称で広く知られるようになりました。その美しさは単なる建...
鎌倉時代

鎌倉時代のブロガー?吉田兼好が『徒然草』で語った現代的思考

私たちが日常の出来事や考えをインターネットに投稿するのは当たり前のことになっています。ブログやSNSは、個人の思索や体験を手軽に記録し、多くの人と共有するためのツールです。ところが、今からおよそ700年前、すでに同じような行為をしていた人物...
鎌倉時代

鴨長明が『方丈記』で伝えたかったこと

『方丈記(ほうじょうき)』は、鎌倉時代初期に鴨長明(かものちょうめい)によって書かれた随筆です。冒頭の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という有名な一節は、多くの人が一度は耳にしたことがあるでしょう。そこには、移り変わる自...
鎌倉時代

北条時行はなぜ足利尊氏に挑み続けたのか?

日本の歴史には、勝者に敗れながらも何度も立ち上がり続けた人物がいます。そのひとりが「北条得宗家の最後の後継者」と呼ばれる北条時行です。彼は鎌倉幕府を支配してきた名門・北条家の嫡男として生まれ、幕府が滅び、一族が自害に追い込まれるという未曾有...
鎌倉時代

なぜ新田義貞は「鎌倉攻め」を決断したのか

日本の歴史には、後世に大きな影響を与えた「転換点」と呼べる出来事がいくつもあります。そのひとつが、1333年に起こった鎌倉幕府の滅亡です。150年以上続いた武家政権が終わりを迎えるきっかけとなったのは、一人の武将による果敢な決断でした。その...
鎌倉時代

元寇に日本が勝った理由――神風だけじゃない!蒙古襲来を退けた力

日本史において「元寇(げんこう)」といえば、多くの人がまず「神風」を思い浮かべるのではないでしょうか。台風が蒙古軍の大船団を打ち砕き、日本を救ったという物語は、後世においても繰り返し語られ、国難を乗り越える象徴として扱われてきました。しかし...