平安時代

清少納言は毒舌家で性格が悪い?『枕草子』ににじむ性格の真実

清少納言と聞くと、「毒舌で性格が悪い女房」というイメージを持つ方も少なくありません。『枕草子』には辛辣な表現や人々を痛烈に批判する記述があり、それが直接的に清少納言の人柄を示しているかのように受け取られがちです。しかし、実際にはそのような印...
平安時代

紫式部の性格、宮廷の華やかさの裏で抱えた孤独と批判精神に迫る

平安時代を代表する文学作品『源氏物語』を生み出した紫式部。その名前を知らない方は少ないでしょう。しかし、彼女自身がどのような性格の持ち主であったのかについては、意外と知られていません。華やかな宮廷で才能を発揮しつつも、彼女は強い孤独感や複雑...
平安時代

雷に乗って帰ってきた男――菅原道真、平安京を震わせた怨霊伝説

菅原道真は、平安時代を代表する学者であり、やがて右大臣にまで上り詰めた政治家でもありました。文章博士としてその才を認められ、誠実で学問を重んじる姿勢は、多くの人々から敬意を集めました。しかし、その急速な出世は一方で貴族たちの嫉妬と反感を招き...
平安時代

首塚の祟りは本物か? 平将門伝説に潜む怨霊の謎

東京の大手町には、一見すると小さな石碑にすぎない「将門の首塚」があります。しかしこの場所は、千年以上の時を超えて人々に恐れられ、決して軽んじてはならない「祟りの地」として知られています。「祟り」という言葉は現代人にとって非科学的に思えるかも...
平安時代

なぜ延喜の荘園整理令は「幻の改革」と呼ばれるのか?

平安時代の中期、醍醐天皇の治世に発せられた「延喜の荘園整理令(902年)」は、日本の土地制度に関する重要な転換点とされています。この令は、増え続ける荘園を整理し、公地公民制を立て直すことを目的としていました。しかし、歴史的には「幻の改革」と...
平安時代

「応天門の変」の黒幕は藤原良房という説は成立するか?

平安時代前期を代表する政変のひとつが「応天門の変」です。貞観8年(866年)、宮城の正門である応天門が突如炎上し、朝廷は大きな混乱に包まれました。この事件は単なる放火や事故ではなく、当時の政界における権力争いと深く結びついていたため、古来よ...
平安時代

「藤原薬子は美人だった」は史実か?作られたイメージか?

藤原薬子(ふじわらのくすこ)は、平安時代初期に宮廷内で大きな影響力を持った女性として知られています。桓武天皇の時代から続く権力構造の中で、彼女は平城天皇(のちの平城上皇)との親密な関係を背景に、兄である藤原仲成とともに政治に深く関与しました...
平安時代

知られざる英雄・阿弖流為(あてるい)、その壮絶な生涯

日本の歴史を語るとき、織田信長や坂本龍馬といった名だたる英雄の姿は多くの人に知られています。しかし、その一方で、表舞台に登場することなく忘れ去られた人物も数多く存在します。蝦夷(えみし)の戦士・阿弖流為(あてるい)も、まさにその一人です。彼...
平安時代

【初代・征夷大将軍】坂上田村麻呂は本当に鬼を倒したのか?伝説の真相に迫る

日本の歴史には、勇敢な武将や英雄が「鬼」と戦い、これを討ち果たしたという物語が数多く語り継がれています。その中でも、平安時代に活躍した武人・坂上田村麻呂に関する鬼退治の伝説は、全国各地に広まり、今もなお人々の記憶に残る代表的なものです。では...
平安時代

最澄と空海の違い、二人の関係はどんなものだったのか

日本の仏教史を語る上で、平安時代初期に登場した最澄(さいちょう)と空海(くうかい)は欠かせない存在です。二人は同じ時代に唐へ渡り、新しい仏教の学びを日本に持ち帰りました。しかし、その教えや実践、社会への影響は大きく異なっていました。本稿では...