伊藤仁斎の思想(古義学)をわかりやすく解説!朱子学との違いも

江戸時代前期、日本では儒学が広まり、人々の道徳や政治のあり方に強い影響を与えていました。

その中心となったのは朱子学でしたが、理屈や抽象的な説明が多く、必ずしも生活に根ざしたものとはいえませんでした。

そうした時代にあって、伊藤仁斎は「人としての自然な心」を大切にし、学問をより身近で実践的なものへと導こうとしました。

仁斎は、宇宙の理論や形式にこだわるのではなく、人間の感情や日常の営みを重視しました。彼が打ち立てた「古義学」は、人を思いやる心と誠実さを中心に据え、誰もが日常生活の中で実践できる倫理を説いた学問です。

京都に開いた私塾「古義堂」で弟子たちに直接語りかけながら、その思想を広めていきました。

この記事では、伊藤仁斎がどのような人物であり、どのような思想を築き上げたのかを、わかりやすく解説していきます。

伊藤仁斎とはどのような人物か

江戸時代の日本では、儒学が人々の暮らしや政治の根本的な考え方として広まっていました。特に朱子学と呼ばれる学派は、幕府によって正統と認められ、広く受け入れられていました。

しかし、その学問は抽象的で理屈に偏ることが多く、庶民にとっては分かりにくいものでした。

伊藤仁斎(いとうじんさい、1627〜1705)は、そうした難解な学問に疑問を抱き、孔子や孟子といった儒学の古典に立ち返ろうとした学者です。

彼の学問は「古義学(こぎがく)」と呼ばれ、後に多くの人々に影響を与えました。仁斎は「難しい理論よりも、人としての誠実さや思いやりが大事だ」という考えを大切にしたのです。

古義学の基本的な考え方

仁斎の学問の中心にあるのは、人間の自然な感情や心を尊重する姿勢です。

彼は「仁愛(じんあい)」という言葉を重んじました。これは、人が本来持っている「人を思いやり、愛する心」を指します。

朱子学が宇宙の秩序や理(ことわり)を中心に据えたのに対して、仁斎はもっと身近な人間の心に目を向けました。

つまり、宇宙の理論を理解するよりも、日常の暮らしの中で互いを思いやることこそが大切だと説いたのです。

こうした考え方は、庶民にとっても理解しやすく、またすぐに生活に役立つものでした。

例えば、家族や友人との関わりの中で誠実に接することや、心から相手を思いやる気持ちを忘れないこと。仁斎は、それこそが本当の学問であり、人間らしい生き方であるとしました。

誠の大切さ

仁斎が繰り返し強調したのは「誠(まこと)」という考え方です。誠とは、単に嘘をつかないことだけではありません。自分の心を偽らず、正直に、ありのままに生きる姿勢を指します。

朱子学では礼儀や形式が重んじられましたが、仁斎はそれらを表面的なものに過ぎないと批判しました。たとえ立派な礼を整えても、そこに心が伴っていなければ意味がない。

逆に、形式にとらわれなくても、心からの思いやりを示せば、それが本当の礼になると考えたのです。

日常生活の中で誠を大切にすることが、学問の根本であり、社会全体をよくする力になる。仁斎はそのように考え、弟子たちに伝えました。

日用倫理という発想

仁斎の学問が他と大きく違うのは、「特別な理論」ではなく「毎日の生活」に根ざしていることです。彼はこれを「日用倫理」といえる形で説きました。

例えば、親子の関係では、親が子を思い、子が親を敬うこと。夫婦の関係では、互いに信頼し合い、助け合うこと。友人関係では、誠実に相手を思いやること。これらは難しい理屈ではなく、誰でも日常の中で実践できるものです。

仁斎は、このような日常の中の心がけこそが、学問や道徳の本質だと考えました。つまり、人間らしい感情を素直に発揮し、それを誠実に保ち続けることが大事だということです。

朱子学との違い

ここで、朱子学との違いを整理してみましょう。朱子学は「理」という抽象的な原理を重んじ、宇宙や自然の秩序に従うことを強調しました。

それに対して、仁斎の古義学は「人間の心」を中心に据え、人の感情や日常生活を重視しました。

つまり、朱子学は理屈から人を導こうとしたのに対し、仁斎は感情や誠実さから人を導こうとしたのです。

この違いは、庶民にとっても分かりやすく、より実践的な学問として受け入れられました。

著作と思想の伝え方

伊藤仁斎は、自分の考えを弟子たちに伝えるだけでなく、著作としても残しました。その代表作が『論語古義(ろんごこぎ)』です。

これは、孔子の言葉を集めた『論語』を、朱子学の注釈ではなく自分なりに読み解き直したものです。

朱子学が複雑に理論化していたのに対して、仁斎は素直に言葉の意味を受け取り、実生活に役立つように説明しました。

また、『童子問(どうじもん)』という書物では、子どもが素朴な疑問を投げかけ、それに対して大人が分かりやすく答えるという対話形式をとりました。

これは学問を難しいものにせず、誰でも理解できる形で広めたいという仁斎の思いをよく表しています。

後世への影響

仁斎の古義学は、彼の死後も弟子たちによって受け継がれました。その中でも特に有名なのが、息子の伊藤東涯(いとうとうがい)です。

東涯は父の学問を整理・発展させ、古義学をさらに広めました。

仁斎の考え方は、後の国学や庶民教育にも影響を与えました。日常生活を重視する姿勢や、人を思いやる心を基礎にした倫理は、庶民にとっても親しみやすく、学問を身近なものにしたのです。

これは、形式や理論に偏りがちな学問を、人間らしい感情の世界へと引き戻した大きな役割といえるでしょう。