撰銭令をわかりやすく解説!「良銭」と「悪銭」のルール

日本の歴史には、政治や戦争の話題だけでなく、経済や日常生活に大きな影響を与えた制度も数多く存在します。

その一つが「撰銭令」と呼ばれるものです。

普段の暮らしに欠かせない貨幣をめぐって定められたこの制度は、当時の社会や経済の姿を知るうえでとても興味深い手がかりとなります。

撰銭令とは何か、なぜ出されたのか、そしてどのような影響を及ぼしたのかを、できるだけわかりやすく解説していきます。

撰銭令とは何か

撰銭令とは、取引に使える銭(せん)と使えない銭を区別し、基準に満たない銭を排除しようとした法令のことです。

簡単に言えば「良い銭だけを流通させ、悪い銭は使うな」というルールを示したものです。

この制度が登場した背景には、中国から大量に輸入された銭の存在があります。

日本では平安時代以降、国内で貨幣を鋳造する試みもありましたが、十分に流通するほどの量を生産できませんでした。

そのため、宋や明といった中国王朝で鋳造された銭が大量に持ち込まれ、国内の流通を支えていました。

しかし、輸入される銭には質の差があり、摩耗したものや偽物も少なくなかったのです。

こうした状況の中で、権力者は経済の安定をはかるために、銭の選別を制度化しました。これが撰銭令です。

撰銭令が出された時代背景

中世の貨幣事情

撰銭令が出される以前、日本ではさまざまな銭が混在して流通していました。

特に宋銭と呼ばれる中国北宋の銭は、その鋳造技術の高さから質が良く、日本でも広く使われました。

しかし、やがて宋が滅ぶと南宋や元、さらに明の銭も流入するようになり、その中には品質のばらつきが大きいものもありました。

加えて、銭が摩耗して薄くなったものや、私的に鋳造された粗悪な銭も市場に出回りました。

こうした事情から、同じ「一文銭」と言っても、銭の質によって実際の価値が大きく異なることが問題視されるようになったのです。

経済活動の広がり

貨幣の重要性が増していった背景には、経済活動の拡大があります。中世になると、農業の発展に加えて、商業や流通が活発になりました。

寺社や荘園では米や特産物の取引が盛んに行われ、銭が日常的に使われるようになっていきます。

特に都市や港町では、多くの人々が銭を使って生活を営んでおり、良質な銭の安定供給は社会全体にとって欠かせないものとなりました。

こうして「良い銭と悪い銭を区別する必要性」が強く意識されるようになり、撰銭令の発布につながっていったのです。

撰銭令の具体的な内容

良銭と悪銭の区別

撰銭令では、まず「良銭」と「悪銭」の区別が明確にされました。良銭とは、形や重量が整った、品質の良い中国銭のことを指します。

例えば宋や明で鋳造された銭の中でも、比較的摩耗が少なく見た目も整ったものが好まれました。

一方で「悪銭」とは、摩耗して薄くなった銭や、鋳造が粗悪で偽物に近い銭を意味しました。

これらは実際の価値が低いにもかかわらず、市場で同じ「一文」として使われてしまうため、取引の公平性を損なう要因となっていました。

悪銭排斥の仕組み

撰銭令の狙いは、こうした悪銭を市場から排除することにありました。法令では「取引には良銭を用いよ」「悪銭を使った場合は受け取ってはならない」といった基準が設けられました。

また、悪銭を使って取引を行った場合には罰則が科されることもあり、違反した者は処罰の対象となりました。これによって、できるだけ良銭が市場で流通するようにしようとしたのです。

とはいえ、良銭と悪銭を見分けることは必ずしも容易ではなく、現場で混乱を招くこともしばしばありました。

撰銭令がもたらした影響

市場での混乱と対応

撰銭令が出された結果、市場には大きな混乱が生じました。なぜなら、人々が日常生活で使っていた銭の多くは、すでに摩耗していたり、品質が一定ではなかったからです。

例えば農村の商取引や庶民の小規模な買い物では、悪銭を完全に排除することは難しく、実際には悪銭も流通し続けました。

そのため、撰銭令によって「良銭しか使えない」となると、取引が滞ったり、不公平感が広がったりしました。

さらに、地域によって銭の流通事情が異なっていたため、ある地域では撰銭令が厳格に守られた一方、別の地域ではほとんど無視されるなど、対応には差が見られました。

権力と経済の関わり

撰銭令の背景には、経済統制を強めたい権力側の思惑もありました。幕府や朝廷にとって、貨幣の価値を安定させることは財政基盤の確保につながります。

そのため、良銭の流通を確保し、悪銭を排除することは重要な課題でした。

しかし、実際には民間での取引を完全に統制することは難しく、法令が出されても徹底されないことが多かったのです。

このように、撰銭令は権力と経済の関わりの中で生まれた制度でしたが、現実とのギャップに直面し続けたとも言えるでしょう。

まとめ:撰銭令の意義

撰銭令は、単に貨幣を良いものと悪いもので区別するだけの制度ではありませんでした。その背後には、当時の社会や経済が直面していた現実がはっきりと映し出されています。

中世日本では、国内で十分な貨幣を供給できず、中国からの輸入銭に大きく依存していました。しかし、その銭は一様ではなく、質や状態にばらつきがありました。

そのため、取引の場で不平等や混乱が生じやすく、これを抑えるために撰銭令が登場したのです。

また、この制度は貨幣流通の重要性がいかに高まっていたかを示しています。農村や都市での商取引、寺社や荘園を中心とした経済活動など、銭がなければ成り立たない社会が広がっていたからこそ、撰銭令のような規制が必要とされました。

もっとも、現実には法令どおりに市場を統制することは困難で、悪銭も依然として流通し続けました。

けれども、その存在は当時の権力者が貨幣制度を安定させようと苦心していたことを物語っています。

撰銭令を理解することは、単に貨幣の問題を知るだけでなく、中世の経済や社会の仕組みに触れる手がかりとなります。

経済活動が人々の暮らしにどれほど深く結びついていたか、そしてその中で制度や権力が果たした役割を知ることができるのです。