奈良時代

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道鏡とラスプーチン──二人の怪僧が使った人心掌握術

歴史の中には、政治権力そのものを握ったわけではないにもかかわらず、支配者の側近として強大な影響力を及ぼした人物が存在します。日本の奈良時代に登場した僧・道鏡、そして帝政ロシア末期に現れた怪僧・ラスプーチンは、その典型例といえるでしょう。時代...
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望郷の歌人・阿倍仲麻呂が帰国できなかった理由は優秀すぎたこと

阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)は奈良時代に遣唐使として中国へ渡り、唐の社会で大きな成功を収めた人物です。日本に生まれながら唐の官僚として活躍し、詩人としても名を残しました。しかし、彼は最終的に祖国である日本へ戻ることは叶いませんでした。その理...
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正倉院が建てられた理由ーー「宝物庫」である以上に「国家権力の舞台装置」だった

正倉院といえば、日本の歴史や文化を象徴する宝物庫として広く知られています。特に奈良時代に収められた数々の美術工芸品や仏具は、国宝級の文化財として今日まで伝えられており、毎年の「正倉院展」では多くの人々がその美しさを鑑賞しています。こうした正...
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「墾田永年私財法」は本当に永遠に土地を所有できる法だったのか?

日本の歴史の授業で必ず登場する「墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)」。多くの方が「開墾した土地を永遠に私有できるようになった法律」と覚えているのではないでしょうか。確かに教科書や入試問題では、そのように端的に説明されることが多いで...
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なぜ行基は弾圧対象から大僧正の地位まで昇りつめたのか

日本の奈良時代において、仏教は単なる宗教を超えて、国家の統治や社会秩序を支える重要な役割を担っていました。その中で、行基(ぎょうき)という僧侶は特異な存在でした。彼は当初、国家の定めた僧尼令に違反して活動を行い、弾圧対象となっていました。し...
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「藤原広嗣の乱」が起こった理由。なぜすぐに鎮圧されたのか

藤原広嗣の乱は、奈良時代の天平12年(740年)に九州で発生した大規模な反乱です。主導者は藤原不比等の孫にあたる藤原広嗣であり、中央から派遣された太宰府の長官としての立場を利用して挙兵しました。この乱は短期間で鎮圧されましたが、当時の政治・...
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鑑真が失明してまで日本に来た理由。渡航失敗は裏切り者のせいだった?

日本仏教の歴史を語る上で欠かすことのできない人物のひとりが、唐の高僧・鑑真(がんじん)です。彼は奈良時代、日本に正式な戒律を伝えたことで知られています。しかし、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。渡航の試みは幾度も失敗し、その...
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長屋王の呪い?藤原四子は怨霊の祟りで亡くなった説を検証する

日本の歴史には、「怨霊が人々に祟った」と語られる出来事が数多く存在します。菅原道真や崇徳院の怨霊伝承が有名ですが、それ以前に奈良時代の政争にまつわる怨霊譚として知られるのが「長屋王の呪い」です。長屋王は、天武天皇の孫にあたり、皇位継承権を有...
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なぜ藤原不比等は日本史上最強の「影の実力者」となれたのか

日本史において「権力者」と呼ばれる人物は数多く存在します。天皇をはじめ、将軍、大名など、表舞台で権威を振るった人物は歴史教科書でもよく取り上げられます。しかし、その陰で制度や人脈を操り、持続的な影響力を築いた「影の実力者」は限られています。...
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日本書紀はなぜ作られた?プロパガンダとして機能させることが目的だった

日本書紀(にほんしょき)は、720年に完成した日本最古の正史の一つです。古事記と並んで日本の古代史を知るための重要な資料とされ、学校教育や歴史研究でも必ず取り上げられます。しかし、この書物をただの歴史書として読むのは不十分です。日本書紀には...