日本書紀(にほんしょき)は、720年に完成した日本最古の正史の一つです。古事記と並んで日本の古代史を知るための重要な資料とされ、学校教育や歴史研究でも必ず取り上げられます。
しかし、この書物をただの歴史書として読むのは不十分です。日本書紀には、当時の為政者が自らの正統性を示し、国内外に対して国家の力を誇示するための「プロパガンダ」としての役割が色濃く刻まれているのです。
日本書紀の成立背景
当時の政治状況
日本書紀が編纂されたのは、天武天皇とその後継者である持統天皇の時代に端を発しています。背景には壬申の乱という大きな政変がありました。壬申の乱は、天智天皇の死後に起こった皇位継承をめぐる内乱で、天智天皇の弟である大海人皇子(後の天武天皇)が勝利しました。
この勝利によって新しい王権が誕生したわけですが、急ごしらえの政権には「正統性をいかに確立するか」という大きな課題がありました。自らの支配を絶対的なものとして示すためには、神話から現実の歴史に至るまでを一貫させ、天皇家が必然的に統治者であることを物語化する必要があったのです。
編纂の体制
このような状況の中で編纂されたのが日本書紀です。中心人物は天武天皇の皇子である舎人親王で、彼を含む知識人グループが唐の歴史書を手本として編集しました。当時の日本は中国・唐を模範とし、律令制度や文化を積極的に取り入れていました。そのため、国際的な正統国家として認められるためにも、中国の「正史」と同様の形式を持つ国史が必要とされたのです。
また、日本書紀は漢文体で記され、外国に見せることを意識した体裁になっている点も特徴です。国内向けには古事記、国外向けには日本書紀といった二重構造が意図的に整えられたと考えられます。
日本書紀が果たした役割
天皇家の正統性の強調
日本書紀の最も重要な役割は、天皇家の支配を「神話」によって正当化することでした。冒頭には天照大神(あまてらすおおみかみ)が登場し、その直系の子孫として天皇が存在すると描かれています。この系譜は、単なる物語ではなく、「天皇は神の血を引く存在だから支配するのは当然だ」という論理を補強するものでした。
こうして、天皇の権威を揺るぎないものとし、臣民に従うことを当然とする思想を広めるための基盤が作られたのです。
国内統合のための物語
また、日本書紀は単に天皇家を高めただけではなく、各地の豪族や氏族を天皇家の系譜に接続する役割も果たしました。地方の有力者は自分たちの先祖が天皇の血統や事績に結びつけられることで、その存在意義を認められる形になります。
これは一種の「物語による統合」であり、各地域の伝承を一つの大きな歴史に組み込みながら、中央集権的な国家体制を築いていく戦略だったといえます。
国際的地位の誇示
さらに、日本書紀は国際的な意味も持っていました。唐や新羅といった周辺諸国と渡り合うためには、日本が「文化的にも政治的にも整った国」であることを示す必要がありました。そのため、編年体という中国の史書と同じ書き方が採用され、外国の使節に見せても遜色のない体裁が整えられたのです。
つまり、日本書紀は外交文書としての性格も備えていたと考えられます。
プロパガンダ的要素の具体例
壬申の乱の描かれ方
日本書紀において、天武天皇が勝利した壬申の乱は「天命によって導かれた当然の勝利」として描かれています。天武天皇が神々の加護を受けて戦いを制したと強調することで、その支配が偶然ではなく必然であると訴えているのです。
一方、敗北した側は「反逆者」として記録され、正統性を徹底的に否定されています。これは、政権を正当化する典型的なプロパガンダ的叙述です。
神功皇后の三韓征伐
日本書紀には、神功皇后が朝鮮半島に遠征し、三韓を従えたという話が記されています。実際の国際関係から見れば、このような大規模な征服は疑わしい部分が多いのですが、物語としては「日本が古来より東アジアにおいて優位に立っていた」というイメージを作り出しています。
これは、当時の外交関係において「日本は対等の文明国である」と主張するための歴史的根拠として利用されたと考えられます。
系譜の操作
もう一つの特徴は、系譜の整合性を意図的に作り出した点です。異なる伝承や血筋を無理に結びつけたり、あるいは都合の悪い伝承を削除したりすることで、天皇家の血統が常に中心に据えられるよう工夫されています。
これは歴史の記録というよりも、権力を維持するための「編集作業」であり、現代的に言えばプロパガンダに近い操作といえます。
対象読者と影響
当時の支配層への影響
日本書紀は、まず国内の豪族や官僚層に強い影響を与えました。自らの系譜が天皇家に結びつけられることで、地方豪族は自分たちの存在意義を国家の枠組みの中に見出しました。また、官僚たちにとっても、天皇の権威を基盤にした体制の下で仕えることが正当化されます。こうして「天皇を中心とした秩序」に服従することが、自然で当然のこととして受け止められるようになったのです。
外交上の意義
国外に対しても日本書紀は役割を果たしました。唐や新羅といった大国に対して、「日本も歴史を整えた文明国である」と示すことは重要でした。特に、冊封体制の中で中国と対等に交渉するためには、文化的な根拠や格式を持つことが必要とされました。日本書紀はその「証拠書類」としての機能を果たし、日本が国際社会の中で自立した地位を主張する道具となったのです。
後世への影響
さらに、日本書紀は後世にも大きな影響を残しました。古事記と並んで神話や歴史の源泉として扱われ、平安時代以降も物語や系譜の基礎資料となりました。近代になると、明治政府は国家神道を確立する過程で日本書紀を利用し、「天皇は万世一系である」という思想を強調しました。こうして、古代のプロパガンダは千年以上の時を超えて再利用され、近代国家のアイデンティティ形成にも寄与したのです。
日本書紀を「プロパガンダ」と呼ぶ是非
肯定的な見方
肯定的な立場からすれば、日本書紀は明らかにプロパガンダ的な性格を持っています。歴史的事実を忠実に記録するよりも、権力を正当化することが優先されており、天皇家の系譜や戦いの勝敗が「必然」として描かれているからです。当時の人々を一つの物語に巻き込み、国家建設のための意識を育てる機能を果たしたことは否定できません。
否定的な見方
一方で、「プロパガンダ」という言葉は現代的なニュアンスを持つため、必ずしもそのまま日本書紀に当てはめるのは適切ではないという意見もあります。唐の影響を受けて正史を作るのは当時の国際的な常識であり、権力者の視点で書かれるのはむしろ自然なことだともいえます。そのため、日本書紀は「プロパガンダ」ではなく「国家建設期の文化的必然」と見る立場も存在します。
バランスの取れた視点
現代的に理解するうえでは、日本書紀を一方的に「プロパガンダ」と断じるのではなく、「歴史書としての価値」と「政治的道具としての機能」を両立していたと捉えるのが妥当でしょう。つまり、史実を記録する側面と、支配体制を強化するための編集という二面性を持ち合わせているのです。
史実と政治意図を見抜く教材としての日本書紀
日本書紀を改めて振り返ると、その目的は単なる歴史の記録だけではなく、時代の要請に応じた「国の物語づくり」にあったといえます。
確かに天皇家の正統性を強調する意図は明らかですが、それと同時に、地域ごとの異なる伝承や神話を一冊にまとめあげたこと自体も大きな意味を持ちました。バラバラだった記憶を一つに束ねることで「共通の歴史」を共有させ、人々のアイデンティティを国家という枠組みに結びつけることに成功したのです。
また、日本書紀は漢文で書かれているため、国内の知識層だけでなく外国への発信も強く意識されており、国際社会に向けた外交戦略の一環でもありました。つまり、この書物は「内」と「外」の両面に働きかける役割を担っていたのです。
現代の私たちにとっては、史実の裏にある政治的意図を見抜く力を養う教材でもあり、歴史を「どのように語り、利用するか」という普遍的な課題を考えさせてくれる存在だといえるでしょう。