飛鳥時代のクーデター事件である「乙巳の変」は、日本古代史の大きな転換点として知られています。この事件では、権勢をほしいままにしていた蘇我氏が一夜にして滅亡へと追い込まれました。
なかでも蘇我入鹿が斬首される場面は、後世の絵巻物『多武峰縁起絵巻』に生々しく描かれ、歴史と芸術を結びつける象徴的な場面となっています。
しかし、この絵巻に描かれた入鹿の顔は、血に染まり首を落とされた瞬間であるにもかかわらず「笑っている」ように見えるのです。この奇妙な描写は、長らく研究者や歴史好きの間で議論の的となってきました。
今回は、この「笑顔の意味」を多角的に分析し、歴史的背景、芸術的意図、宗教的象徴、心理的解釈を整理しながら、その奥に潜むメッセージを探っていきます。
歴史的背景を理解する
乙巳の変とは何か
乙巳の変(いっしのへん)は、645年に起きた政変です。中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足が主導し、蘇我入鹿を暗殺して蘇我氏の権力を根底から崩壊させました。この事件は単なる暗殺劇ではなく、大化の改新へとつながる政治改革の出発点と位置づけられています。
それまで蘇我氏は天皇家をも凌ぐほどの権力を握っており、皇位継承にまで影響を及ぼしていました。そのため、入鹿の排除は王権の回復、そして新たな中央集権体制の礎を築く重大な政治的事件だったのです。
蘇我入鹿という人物像
蘇我入鹿(そがのいるか)は、蘇我蝦夷の子として生まれ、家柄と実力を兼ね備えた政治家でした。しかし、彼は強引な手法を用いて政敵を排除し、反感を買っていました。
特に山背大兄王を自害に追い込んだ事件は悪名高く、後世においても「冷酷な権力者」として語られることが多いのです。
ただし一方で、入鹿は優れた実務官僚でもあり、国際的な視野を持って外交に関与したともいわれています。そのため、完全な「悪人」像ではなく、複雑な人物像をもつ存在であったと考えられます。
『多武峰縁起絵巻』成立の背景
『多武峰縁起絵巻』は、奈良県桜井市の談山神社に伝わる縁起物語を描いた絵巻です。談山神社は中臣鎌足を祀る神社であり、鎌足の功績を顕彰するために制作されたものです。
そのため、絵巻の物語は「中大兄皇子と鎌足による正義の勝利」という視点から描かれています。
この背景を踏まえると、蘇我入鹿は単なる敗者ではなく「悪役」として強調される必要がありました。
つまり、入鹿が「笑顔で斬首される」場面は、歴史的事実そのものではなく、後世の権力者による政治的・宗教的意図を色濃く反映した演出である可能性が高いのです。
絵巻に描かれた入鹿の最期
斬首場面の描写
『多武峰縁起絵巻』におけるクライマックスは、まさに蘇我入鹿が斬首される場面です。入鹿は刀によって首を落とされ、その首が飛んだ瞬間が鮮やかに描写されています。
周囲には彼を討った側の人物たちが描かれ、緊張感と同時に「正義の勝利」が強調されています。
このシーンは、単なる史実の再現ではなく「視覚的なドラマ」として構成されています。特に入鹿の表情や身体の描写は、他の人物像と比較すると異様なまでに強調されており、絵巻の中で最も印象的なシーンとなっています。
入鹿の「笑顔」の異様さ
最大の特徴は、斬首された入鹿の顔が「笑っている」ように描かれていることです。胴体部分は血まみれであるにもかかわらず、口が大きく開き、目は何かを見据えているように表現されています。
通常、死にゆく者の表情は苦悶や恐怖を伴うものとして描かれるのが自然ですが、この笑いは鑑賞者に強い違和感を与えます。その異様さは、ただ残酷さを演出するだけでなく、絵巻に独特の象徴性を与えているのです。
この「笑う死者」という表現は、後世の能や怪談にも通じる要素であり、日本文化において「笑顔=救済」だけでなく「笑顔=不気味さ」を象徴する先例の一つと考えられます。
笑顔の理由を探る(複数の視点から)
政治的メッセージとしての笑顔
まず考えられるのは、藤原氏の政治的意図です。『多武峰縁起絵巻』は中臣鎌足を讃える物語であり、敵役である蘇我入鹿の最期を「滑稽さ」や「無力感」を伴うものとして描くことで、藤原氏の正統性を強調する狙いがあったとみられます。
つまり、入鹿の笑顔は「悪人が討たれ、哀れにも笑いながら滅んでいく」という寓話的な効果を狙った演出だった可能性があるのです。
笑いは勝者にとって「相手の無力さ」を象徴する強力な表現だったのかもしれません。
宗教的・呪術的意味
もう一つの視点は宗教的なものです。
古代日本では、死者が怨霊となって祟ることを強く恐れました。とりわけ無念の死を遂げた者は「祟り神」として畏れられ、後世にまで影響を及ぼす存在とされました。
入鹿の笑顔は、この「怨霊化」を示す象徴と考えられます。苦悶ではなく笑みを浮かべる死者の顔は、ただの死ではなく「異界に足を踏み入れた存在」として描かれたとも解釈できます。
鑑賞者に「恐ろしいものがまだ続く」という不安を植え付ける効果があったのです。
絵師の芸術的演出
絵巻は歴史の再現であると同時に、一種の物語芸術でもあります。そのため、事実を忠実に再現する以上に、観る者に強烈な印象を残すことが重要でした。
蘇我入鹿が笑っているように描かれるのは、まさに芸術的な演出の一つと考えられます。
血に染まった顔と笑みという対照的な要素を並置することで、強いインパクトと不気味さを生み出し、物語のクライマックスを強調しているのです。
さらに、この表現は「悪人が最後に笑う」という逆説的な描写でもあります。正義の勝利を描きながらも、敗者の笑顔を通じて「怨念は消えていない」という余韻を残す点に、絵師の技巧が感じられます。
心理的解釈
心理的側面からの解釈も興味深いです。一つは「死を受け入れた覚悟の笑み」です。
武士的な精神が浸透する以前の時代であっても、支配者層には死を恐れず受け入れる気風が存在しました。入鹿が最後に笑っているように描かれるのは、死を前にした達観の表現とも考えられます。
もう一つは「狂気の笑い」です。権力の絶頂から一転、裏切られ斬首されるという極限状況に置かれたとき、人間の表情は理性を超えたものになることがあります。
その極限の精神状態を「笑顔」として描くことで、入鹿の非凡さや恐ろしさを視覚的に伝えた可能性があります。
学術的議論と現代的受容
研究者の見解
美術史や歴史学の分野では、この「笑う入鹿」の描写をめぐってさまざまな解釈が提示されています。
ある研究者は「藤原氏の正統性を際立たせるための戯画的表現」と考え、別の研究者は「怨霊化の象徴」として宗教的意味を強調します。
また、美術史的には「笑顔の死者」という表現手法は極めて異例であり、絵巻の制作者が特別な意図を込めたことは疑いようがないとされています。
文化的インパクト
この入鹿の笑顔は、後世の日本文化にも通じる要素を持っています。
能や怪談、さらには浮世絵などでも「笑う死者」や「不気味な笑顔」が恐怖や異界性を表すモチーフとして描かれることがあります。
つまり、『多武峰縁起絵巻』における入鹿の笑顔は、単なる歴史的な一場面を超え、日本文化における「恐怖を伴う笑み」という美的・感覚的表現の源流の一つとみなすことができるのです。
文字史料にはない、絵巻だけの真実
『多武峰縁起絵巻』に描かれた蘇我入鹿の笑顔は、単なる一場面の奇異な演出にとどまらず、当時の政治宣伝、美術的実験、宗教観の交錯点として存在しています。
特に注目すべきは、同時代の史書である『日本書紀』などには入鹿の最期が淡々と記されているのに対し、絵巻ではあえて「笑顔」という強烈な表現を選んだ点です。
文字資料と絵画資料の差異は、史実そのものではなく「後世の人々が何を伝えたいと考えたか」を映し出しています。
また、この笑顔は「笑いと死」の結びつきを考えるうえで貴重な例であり、能や説話文学、さらには現代のホラー文化にまで連なる「不気味な笑み」の源流とも位置づけられます。
つまり入鹿の笑顔は、歴史的事実を超えて、政治的な勝者と宗教的な畏怖、そして芸術的な創意のすべてを宿した象徴的イメージであり、私たちに「歴史をどう語り、どう表現するのか」という普遍的な問いを投げかけているのです。