足利義持の死因は「おしりを掻きすぎたこと」というのは本当か?

歴史上の人物には、立派な功績だけでなく、思わず笑ってしまうような逸話も数多く残されています。

時にそれは風説や後世の創作であることもありますが、こうした小話が歴史を親しみやすくしてくれるのも事実です。

室町幕府の第4代将軍・足利義持には、驚くような俗説が伝わっています。それは「お尻の出来物を掻きすぎて敗血症となり亡くなった」というものです。

にわかには信じがたい話ですが、こうした逸話を入り口にして人物像や時代背景を振り返ると、歴史がぐっと身近に感じられるかもしれません。

足利義持とはどんな人物か

足利義持は15世紀前半を生きた将軍で、父・義満の強権的な支配とは異なる形で幕府を率いた人物です。

しかし、その死については史料が限られており、後世にはユーモラスな説まで広まっていきました。

ここでは、まず義持の生涯を簡単に振り返り、次に「お尻を掻きすぎた」という俗説の真偽や背景、さらには医学的な視点から可能性を考えてみます。

室町幕府4代将軍としての地位

足利義持は、室町幕府3代将軍であった足利義満の嫡男として生まれました。

義満は「北山文化」に象徴される華やかな時代を築き、政治的にも強力な権力を振るった人物です。

その跡を継いだ義持は、将軍職を継承したものの、父のような積極的な対外政策や権力集中を好まず、むしろ穏やかで慎重な政権運営を行いました。

義満の時代には明との勘合貿易や大規模な事業が盛んでしたが、義持はそうした活動を抑制し、内政重視の方針をとったことで知られています。

彼の時代は、派手さに欠ける一方で、大きな戦乱も少なく、比較的安定した時期であったといえるでしょう。

人柄や逸話から見える義持像

義持は、父の義満ほどの華やかさや独裁的な強さを見せた人物ではありませんでした。

そのためか、当時の記録には彼にまつわる人間的な逸話や日常的な出来事が比較的多く伝わっています。

後世に広まった「お尻を掻きすぎた説」も、そうした人間的な側面を誇張したものと考えられます。

また、彼は僧侶や文化人とも交流を持ち、宗教や学問にも理解を示したとされます。強烈な権力者であった父と比べると、むしろ人間味を帯びた将軍像が浮かび上がってくるのです。

義持の最期と「お尻を掻きすぎた説」

実際に伝わる死因の記録

足利義持が亡くなったのは1428年、享年43と比較的若い年齢でした。

当時の記録では、病死であったことは確かですが、病名については明確な記載がありません。一般的には、持病の悪化や感染症が原因であったと考えられています。

ただし、室町時代の医学は現代のような精密な診断ができず、病因や病態を正確に書き残すことは困難でした。

そのため、後世の人々が「死因はこうであったに違いない」と推測し、時に奇妙な説を生み出していったのです。

都市伝説化した“掻きすぎて敗血症”

そうした中で広まったのが、「お尻を掻きすぎたために皮膚が傷つき(または出来物がはがれ)、そこから細菌が侵入して敗血症に至った」という俗説です。

史料に直接そう書かれているわけではなく、むしろ後世の人々が「義持は痔疾や皮膚の病気に悩まされていたのではないか」と想像したことから生まれた話とされています。

このユーモラスな説は、江戸時代の読み物や民間の噂として語られ、その後も現代に至るまで一種のジョークとして伝わってきました。

今ではインターネットや歴史雑談の場でもたびたび話題にされるほどです。こうした逸話が歴史好きの間で語り継がれるのは、人物の人間味を感じさせるからでしょう。

医学的に考える「掻きすぎて死ぬ」はありえるのか?

皮膚疾患からの感染と敗血症のリスク

現代医学の観点からすると、皮膚を掻き壊すことで傷口から細菌が侵入し、そこから感染症が広がる可能性は十分にあります。

とりわけ当時のように衛生環境が整っていなかった時代には、些細な傷が重篤な病につながることは珍しくありませんでした。

敗血症とは、体内に侵入した細菌が血液中で増殖し、全身に炎症反応を引き起こす病態です。抗生物質が存在しなかった中世では、一度感染が広がれば致命的になることも多かったのです。

つまり、「掻きすぎて死んだ」という説は荒唐無稽な笑い話に聞こえますが、医学的にはまったくあり得ない話ではありません。

中世の衛生観念と医療限界

室町時代には現代のような入浴習慣や手洗いの文化が一般的ではなく、医療も祈祷や民間療法に大きく頼っていました。

感染症の理解も不十分であり、膿や出血があっても適切な処置を施すことは難しかったでしょう。

こうした状況を考えると、義持の死因が皮膚疾患や感染症に関係していた可能性は否定できません。

そして、その解釈がユーモラスに脚色されて「お尻を掻きすぎて死んだ」という形で語られるようになったのです。

歴史の裏話がもつ魅力

偉人を人間的に感じさせるエピソード

歴史上の人物というと、どうしても立派な功績や戦いの場面に目が向きがちです。

しかし、日常生活の中での悩みや身体的な不調といったエピソードを知ると、彼らもまた生身の人間であったことを実感できます。

足利義持が「お尻を掻きすぎて死んだ」と語られるのは一見すると滑稽ですが、同時に、権力者もまた身体の不調や病気に苦しんだ存在だったと想像させます。

このような逸話は、歴史上の偉人をただの遠い存在ではなく、より親しみやすい人物として感じさせる効果があります。

現代の私たちが笑いながら義持の死因を語ることは、歴史を楽しむ一つのきっかけともなるのです。

史実とジョークの境界線

もちろん、史料に基づいた確かな記録と、後世に広まった俗説やジョークは区別する必要があります。

歴史を真剣に学ぶ際には、信頼できる史料に依拠することが大切です。

しかし、同時に歴史には人々の想像や噂、風聞も含まれており、それらは当時の人々の価値観やユーモア感覚を知る手がかりになります。

義持の死因をめぐる「掻きすぎ説」は、まさに史実と風説の境界にある話題です。

厳密な学問としての歴史にとっては信頼できる根拠が乏しい話ですが、歴史を楽しむ上では十分な魅力を持った逸話だといえるでしょう。

笑いと史実のあいだで考える

足利義持の死因が「お尻を掻きすぎたことによる敗血症」であったという説は、史料的な裏付けはありません。

あくまで後世の人々が生み出した俗説であり、ユーモラスな逸話として伝わってきたものです。

しかし、当時の医学や衛生環境を考えると、皮膚疾患や感染症が死因になり得た可能性は十分にあります。そのため、この説は完全な荒唐無稽とは言い切れない一面を持っているのです。

歴史に興味を持つ大人にとって、こうした逸話は人物像を立体的に感じさせてくれます。史実を学ぶと同時に、笑いながら俗説に触れることもまた、歴史の楽しみ方のひとつといえるでしょう。